だからどうした。

うだうだカジュアルモード。

「失言」と大臣の資質

現在、ロシアにいる。仕事でも何でもなく遊びである。クラクフワルシャワミンスクサンクトペテルブルクと移動してきており、いずれも一泊だけだが、いずれも一泊でよかったと思っている。ミンスクなんて何もなさすぎて、朝に到着して昼過ぎにはホテルにこもっていた。

ベラルーシは観光立国を目指そうとしているそうだが、無理だろ、あれ。言葉が通じないだのサービスが悪いだのは、あとからいくらでも改善できるが、見るべきところが変わった形をしたビルとか広場とかって、わざわざビザを取ってまでみたいと思う人は果たしてどれほどいるんだろう。先日、日本人は空港から入国する場合、かつ何日間かの滞在に限り、ビザ免除となったらしいが、そうゆう問題じゃないだろ。

旅行中ということで、既に四度目ほどの賞味期限を迎えている話題かとは思いますが、ここはひとつ。

 

ミンスクのホテルに着き、NHK WORLDにチャンネルをあわせた瞬間に「あちゃー」という感想が出た。同時に「案の定、やっちまったか」という感想も持った。

何のことかというと、今村元復興相の「東北でよかった」発言を受けての大臣辞任のニュースである。


今村元復興相といえば、記者会見の時に煽ってきた記者に対して「今すぐ帰れ。」と言い放ち、会見を一方的に打ち切ったことで一躍有名になった人である。こうゆうことを言うと自分の不勉強や無教養を晒すことになるが、あの一件まで復興大臣が今村さんであることを知らなかった。そもそも今村さんの存在を知らなった。
それがあの一件で、名前から業務内容まで少なくともひとりの国民に把握されたのだから、復興相としての一応の責任は果たしたとも言えよう。知らんけど。
記者会見打ち切り事件を見ていた大方の人の見解は、「煽った記者も大概だが、それに乗った大臣もいかがなものか」といったものだと思う。語弊のある言い方かもしれないが、記者会見に来る記者は、けんかを売りに来ているようなものだ。それを言い値で買ってどうする。あの件はなんなら自ら利子を付けているようなものだ。
この時点で大臣としての資質を疑った人は多いと思う。

 

それが案の定このざまである。Twitterを見てみると、「(単なる)失言で大臣を辞めさせるのはおかしい」といった意見が流れていった。
だがしかし、待ってほしい。本当に「失言」で済ませられることなのだろうか。

各ケースを具体的に自身の境遇に置き換えると、何が問題なのかが見えてくるのではないかと思う。

 

まず会見中止についてだが、「権力の力関係」として記者より強い大臣が、「君は帰れ」と恫喝したうえ、「中座した」のである。
もし全社会議などで自社の社長が同様の発言と行動をするとどうだろうか。
「社長だから仕方がない」という見方もあるが、「単なる失言」だろうか、あるいは納得できるだろうか。その社長のその後の社内での評判は惨憺たるものになるに違いない。

いやだろ、そんな子どもじみた社長。人間なので感情はあるが、「公の場」でそんな感情的に行動する人に会社の未来が握られているなんて、こちらの感情として不安になる。中小企業のワンマン社長か。

 

次に「東北でよかった」発言である。経済的な損失を比較・考慮しての発言ではあるが、これは放言以外のなにものでもない。
例えば就職で東京で働いているあなたの地元に、隣の黒電話君が核ミサイルを発射し、何千人もの人が命を失ったとしよう。家を失ったとしよう。なんなら親御さんが亡くなったとする。
そこで同僚が「経済的な損失を考えたら、東京じゃなくて××(君の郷里)でよかったよー」と発言したらどう思うだろうか。「単なる失言」で済ませられるだろうか。もし東京に落ちてトランプさんあたりが「経済的損失を考慮すると、落ちたのがN.Y.ではなく日本でよかった」と言ったと報道されたらどうだろう。
おそらく「え、そんな問題かよ」「他人事かよ」といった感想が出てくると思う。

そう、今村復興相はあろうことか、復興大臣という肩書にも関わらず、東北の大震災のことは他人事としてしかとらえられていないのだ。

エヴァのネクタイで懐柔された人もいるようだが、被災地や被災者を思うってそうゆう薄っぺらいもんじゃないだろ。「アイ・アム・ケンジやアイスバケツチャレンジはどこいった?」と同じレイヤーである。

 

我々は非公式であるという暗黙の了解のもと、不謹慎な発言をしがちである。
今村復興相の発言と同様の発言をした人もいるかと思う。会社の喫煙所や飲み会の場、あるいはお茶の間でテレビを見ながら「地震大きかったねー」「まぁでも東京でなくてよかったねー」といった具合である。
なぜその発言に波風が立たないのかというと、あくまでも一市民の感想であることもさることながら、「非公式の場である」というコンセンサスがあるからである。非公式の場であるからこそ、社交辞令的な会話・他人事の会話として成立するのである。

 

お茶の間の会話をそのまま大臣という立場であるというコンセンサスの元で発言してしまう。本当にそれでいいのか。
会社の飲み会といった非公式の場での会話(感想)をそのまま公式の場で発言してしまう人が大臣として成立してもよいのであれば、大臣は今村氏である必要はなく、テレビを見ながらぼやく「私」や「あなた」でもいいということになる。
大臣の資質を問うとはそうゆうことだと思う。